montanayutaの日記

人を動かす言葉を書きたくて。鍛錬したい。

「25歳理論」

「25歳理論」って聞いたことあります?

 
『25歳までに受けてきた影響、見てきた物でその人の人格は形成される』というものです。

これは私がかれこれ10年程追いかけているPerfumeあ〜ちゃんが、25歳を目前としていた時期に話していました。
7年も前、当時17歳の私はなんとなくそれを信じて、ただ25歳という漠然とした数字にリアリティはなかったでしょう。
それから理論を提唱していたあ〜ちゃんもとっくに25歳を過ぎ、私もいつの間にやらいくつも歳を取り、この理論のことなど頭から薄れていました。

「人間の体は25歳であらかた決まってしまうんです。」
つい先日、体験エステでお姉さんにそう諭されたとき、ふっと「25歳で人格が決まる」と話すあ〜ちゃんの声が頭の中に甦りました。
気づけば24歳にまでなっていました。

理論を完全に信じているわけでは無いけれど、25歳までの人生というのは、ひとつ人生の区分として意味があるような気もします。

サカナクションの山口一郎は20代前半までの経験や感覚の貯蓄で詩を書いていると言っていました。(これはソースが見つからなかったので曖昧)
それほど貴重なものなのか。それ以降を生きてみないとわからないけれど、確かにめくるめく年月、他の年代と比べころころと変わっていく環境と圧倒的な未知との遭遇の連続。きっとそのおかげで私の中にも多くのものが溜まってきているのかな。やや気配を感じます。

そこには嬉しいことやかけがえのないものだけではなく、もやもやした鬱屈したものも、蹴り飛ばしたいものもどんどんと折り重なってきています。社会人になってからはより“現実”な蓄積物の重さに、石を食べたようです。

「25歳って最もたるときじゃん!」
何がかというと、“こうあるべき”というものとそうじゃない孤独との摩擦が。
つい先日の星野源のラジオでそう言ってました。やっぱりな。どうも胃が重たいわけだ。

やはり25歳は独特な時期な気がする。
今までの四半世紀の人生の蓄積と、新たにぶつかる壁との狭間で。「荒波に揉まれる」という言い方をしますが、どちらかと言えば私が荒波で、ひたすらそり立つ壁に向かってぶつかっては砕け、またぶつかっては砕けしている気分です。


こんなふうに普段から引用の多い私ですが、自分の言葉も形にしたい。
そう思って昨年の後半から積極的に自分の言葉のアーカイブを始めました。ライブや展覧会などきっかけが有ればやっていたことですが、そういう感想などじゃなくて、自分の日常の中の気持ちと感覚のアーカイブを。

25歳まであと7ヶ月。です。
2021。おめでたい四半世紀アニバーサリー。せっかくだから、お腹の中に積み重なってきたものも全て含めて、もがきながらも自分を抱きしめていきたいな。