montanayutaの日記

人を動かす言葉を書きたくて。鍛錬したい。

「30万年の時計」をトイレに飾った

森美術館に行ってきた。

コロナウイルスの騒動が始まる間際の2月以来、半年ぶり。年間パスポートはご丁寧に延長していただけた。

 

開催中はSTARS展。日本を代表するアーティストたち6人の代表的な作品が一堂に並ぶ。

村上隆李禹煥草間彌生、宮島達男、奈良美智杉本博司

 

恥ずかしいことに杉本博司だけは知らなかった。逆に言えば他の5人を知れていたというのは、自分の知識と経験の蓄積を感じて嬉しくなった。

草間彌生は突出してポピュラーだと思う。李禹煥は直島に行った時に感銘を受けた。宮島達夫は複数の美術館で作品を見るたびに、深く刺さりここ一年でようやく名前を覚えた。村上隆奈良美智は最近雑誌で読んで認識した。

 

 

今回はこの6人の中で宮島達男だけの話をする。この日記は美術展の感想を述べたいわけではないのだ。

 

本展には彼の1987年の作品「30万年の時計」が展示されていた。

宮島達男はデジタルカウンターを用いた作品をつくる。デジタルカウンターとは0から9をひたすら繰り返す文字通りカウンター。デジタル時計のあの上下尖った棒で構成された数字が、ひたすら繰り返されるもの。それらを組み合わせて様々な作品をつくる。

「30万年の時計」とは、そのデジタルカウンターを14個用いた、理論上30万年の以上の時を刻むことができる物だ。

たった14個の数字が並ぶだけであろうこの機械が、30万年の時を内包しているのである。

 

 

自分は物持ちがいい方だと思う。もちろん新しいものもあるし、躊躇なく物を捨てることもあるが、それを所有する意味をひとつひとつに見出したいと考え、長く持っていたいと思っている。

けれど、自分と添い遂げるようなものってどれだけあるだろうか。私は24年ばかりしか生きていないが、私と同い年のもの、私よりも長く生きているものをどれだけ持っているだろうか。考えても何も出てこない。書き溜め続ける日記は10年も遡れないし、やたら命の長い鉛筆といえど小学時代の残り物。

これから先は?その努力はしたい。

 

上司と飲みに行った時、酔っ払った彼が財布の奥から取り出したのは、古い紙切れだった。和紙のようなものに筆字で羅列されていたのは、彼の名前の候補だったらしい。上司が生まれたのとほぼ同時に、親が偉いお寺に名前を尋ねに行き、その候補の中から選んだのだと。親の葬式の後、偶然見つけたのだと彼は嬉しそうに見せてくれた。

 

忙しない日々、入れ替わり立ち替わりの物たち。それを超える何かひとつを持っていたい。と強く思う。それをとても欲している。

 

 

時は超越することはできない。ただひたすらに1秒を積み重ねていくだけ。

私は遥かなる世界のカウントに乗っかるだけ。

そのカウントの中に私は幾つのものを生かせてゆけるのか。すぐに消えてしまうものではなくて。

 

ミュージアムショップで、「30万年の時計」のポストカードを買って帰り、フレームに入れてトイレに飾った。

トイレの扉を開けてそれを見る時、この14のカウンターに内包された30万年のカウントを、思わずにはいられない。今、何カウント目か。それは焦らせるものではなくて、短期的に切り取りがちな世界からの暫しの離脱であり、戒めでもある。

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