日常と非日常
私はもっぱら普段は自転車で生活している。
私が家に帰るとき、舗装整備された自転車の道を走り、時に鼻歌を歌いながら颯爽と駆け抜けるのはとても爽快で好きである。
帰路の最後はカーブした坂道を少し下る。すると私の住むアパートが現れ、その坂の勢いのまま駐輪場へと突っ込んで私の帰り道は終わる。
どんなに爽快に帰り道を自転車で駆け抜けても、最後のカーブを曲がり我が家が現れた瞬間、いつも思う。
ああ、また帰ってきたのか。
と。生活というのはそういうもので、帰る家があるというのはとてもありがたく、日常の幸せの象徴のようなものだ。そう日常。
なのに、なぜか虚しくなる。
ああ、また帰ってきた。また同じルートで、同じブレーキのかけ方で、このカーブを曲がってきてしまった。
そして旅に出たくなる。
旅をしたいというよりかは、ここじゃないどこかへ帰りたくなる。このかけなれたブレーキをかけない帰り道を求めたくなる。
今現在、旅に出ている。ロンドンにて4日過ごし、そして続いてパリにも4日目になる。
最初の数日は日本食を恋しくなったり、わけのわからない言葉の応酬にストレスを感じたり。
ただ1週間ほど異国の地で過ごしてみて、慣れてしまった。
日常とはどこからが日常なのだろうか。どこまでが非日常なんだろうか。
最寄駅の改札左手の階段を登り、工事で狭くなった歩道をまっすぐ歩くと私の宿は現れる。
バー併設のこの宿のドアを開けると、連日酔っ払いの賑やかな声で迎えられる。
宴を背中に中庭に出て螺旋階段を登り、一番最初の部屋のドアノブにカードキーを当てて入室。
帰ってきた。
まだ日常とも言えぬ、非日常からはやや脱したこの今日を。
まだしばらく続けたいけれど、どうやらもう財布が寂しい。
また次の非日常まで。
しばし日常に戻る。あのカーブを曲がる。